旅に出る主人が自分の財産を3人の僕にそれぞれの力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントン預けました。1タラントンは6000日分働いた額です。ここから転じて、タラントンはタレントの語源となり、その人の賜物や才能を表す言葉にもなりました。そして、この主人が旅をしている間、僕たちはそれぞれ商売をして、同じ額のタラントンを増やすのですが、一人だけ何もせず、預かったタラントンを土の中に埋めておき、主人が帰った時に叱られるというものです。主イエス様が最初に「天の国は次のようにたとえられる」とおっしゃっているところからもわかるように、このたとえは、私たちと神様の関係を表しており、神様から与えられたタラントン、すなわち賜物は人それぞれだけれども、天の国で神様と会う時、精一杯与えらえた賜物を生かす者に主は喜び、それを無駄にしているものに、天の国は与えられず、取り上げられてしまうだろうという教えなのです。このみ言葉が示されたとき、私はハッとしました。コロナ禍の中で、悪い僕のようになっていなかっただろうかと。
私たちは、確かに新型コロナウイルスの流行によって、多くの大切なものを失いましたが、それでもZOOMなど新しい対話の形があることを学びました。また、不安が私たちの心を支配する中で人と人との絆が大切であることも身に染みて分かりました。何より、主にある平安を私たちは感じたはずです。困難はいつか希望に代わると励まされてきたはずです。その喜びをもし、自分の内にだけとどめているならば、私たちは悪い僕なのです。福音という宝は、隠し持っているべきものではなく、人々と分かち合ってはじめてその価値が増すのです。
では、どうすればその宝を、人々と分かち合えるのでしょうか?「3年で実る伝道」研修会で話したように、3年かけて一人の方のために祈れば、神様は、知恵も機会も与えてくれます。経験したことは間違いのない真実です。私たちは結局のところ、それしか話せないですし、それが最善なのです。あなたらしく、あなたの言葉で。あなたの大切な人が、天の国に入ろうとするとき、福音を伝えるあなたがそのカギになります。