アニメは日本が世界の若者に発信できる文化の一つとして位置付けられています。これほどまでに世界中の人々の心をつかんだアニメ。「アニメは子どもが見るもの」から、大人が見ても面白くなったのは、ストーリーにせよ、キャラクターにせよ、それだけひきつけられる要素が多くなったということです。
紹介したいアニメは多くあるのですが、日本のアニメが世界的に有名になったのは、宮崎駿のジブリ作品によってですが、となりのトトロのように、ハッピーエンドで終わるものもあれば、風の谷のナウシカのように、自然との共生の大切さや、火垂るの墓のような悲しい結末をもって戦争の悲惨さを後世に伝える作品もあります。どれも、ああ、よかっただけではない、考えさせられる何かが心に残る作品です。多くの人々が、日本の質の高いアニメによって友情とか、一生懸命さとか、心を育まれたと言っていいでしょう。
そんなアニメと聖書の物語にどのような接点があるかといえば、実はあまりないのですが、少しアニヲタな私にとって、イエス・キリストは、究極のヒーローなのです。完全無欠な神でありながら、人となられ人と同じ苦しみを分かち合うことができる存在。そして、今日読んでいただいた1コリント15章にあるように、復活しそして、私たちもまた復活する希望を与えてくれる存在。これ以上に私たちはわくわくできることはないと思うのです。私たちの人生は、はかないものです。異世界に転生するように、天国に行けることを聖書は2000年も前から伝えている、究極のファンタジーです。聖書はいくつになっても、私たちに正しさや、愛や友情の大切さを語ってくれるのです。