まずヤコブの手紙の著者は「聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅いように」と「怒り」は神の義を実現しないと断言しています。感情が高ぶると冷静な判断ができなくなります。怒りをコントロールするために必要なことは、相手の立場になって考えてみるということです。許しがたいことも、もし許すことができたら、怒りから解放されたなら、怒りによって支配されていた心が自由になり、より豊かな生き方ができるでしょう。「人にはできないが神にはできる」と限界を感じる私たちに主イエス様は語られます。もし怒りに心を支配されそうになったらぜひ、神様に祈ってください。正直にその気持ちを神様に伝えてください。それが、神に怒りを委ねる第一歩です。そうすると、神様は私たちにふさわしい答えをくださいます。まさにそれが、21節の「魂の救い」につながるのです。
22節「み言葉を行う人になりなさい」は、このヤコブ書の中心的メッセージです。行うという言葉は英語ですとdoという単語が一般的なのですが、ある訳ではactという単語が使われていました。駄洒落ではありませんが doのするでは、どうするのか分からない。アクション!と神様から声をかけられて、何でもいいから動き出すことが大事なのではないか、と思わされたのです。私たちは、自分が持てる最大の力を発揮してその役割を演じることが求められるし、その姿を周りの人々は感動を持ってみるのです。22節はその言葉に続いて「自分を欺いて聞くだけで終わるものになってはいけません」と続いています。自分を欺くとは、神様が私たちに要求していることは分かっているのに、いろいろな理由をつけて、それをしないということです。それはただ鏡を見るだけのような人と聖書は語ります。何かを変えようとする人は、真剣に見て手を動かすのです。「アクション!」が大事なのです。イエス様は、福音を宣べ伝え、そして人々の渇きを癒し、パンを与え、収税人のところで食事をし、病人を癒したのです。クリスチャンとは、「主の命令に従い、主の模範にならって、神に栄誉をささげ、自分の仲間に対し一人のキリストとなること」なのです。