最初のイースターは、弟子たちにとって、喜びではなくイエス様の遺体が無
くなっているという驚きと、恐れでした。遺体が無くなっている状況の説明は、
四福音書それぞれ少しずつ違っています。聖書はあえて、それぞれの違いをそ
のままにして現代に語り継ぎました。
イエス・キリストの遺体がなくなっている!これが全ての福音書の驚きであ
り、中心なのです。ヨハネ福音書によれば、空の墓に残され泣いていたマリア
は天使や、主イエス様と出会い、そのことを弟子たちに告げました。そしてそ
の後夕方になって弟子たちが集まっているところに、主が来てくださり、十字
架に架けられた時にできた手とわき腹の傷を示されたのでした。主はその傷付
いた体を見せ、復活が事実であることを教えたのです。ペトロらはこの体験に
よって、神の偉大な力と、主イエス・キリストが本当に神の子であり、神その
ものであるという認識に至ったのです。
当初弟子たちは希望を失っていました。もし、イエス・キリストの復活が弟子
たちの全くの作り話であったなら、そのような彼らがその後、命をかけて、イ
エス・キリストの福音を伝えるようなことができたでしょうか?イエス・キリ
ストの復活を信じない人々にとって、イースターは春の訪れを告げるイベント
ぐらいの価値しかないでしょう。復活の出来事は確かに不可解です。しかし、
聖書が私たちに語りかける真理、それは死は人生の終りではない、と言う事で
す。主イエス様の復活によって私たちも同じ復活という希望を与えられたので
す。復活された方の力と言葉を信じる、それが復活の意味であり、信仰です。
この世界が主によって新たにされるその日まで、互いに愛し合いなさいという
主の掟に生きましょう。