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6/16 礼拝メッセージ「不確実な明日のために」

 4章11~12節には「兄弟を裁くな」という小見出しが付いています。ヤコブの手紙の著者は、もし悪口を言い合っているならば、それは「隣人を愛しなさい」という律法に従っていない。すなわち律法を軽視している、裁いていることになると言っているのです。さらには、主なる神のみが、律法を定め、裁きをするのであるから、そのような態度は、この律法をお作りになった主なる神を軽んじていると指摘します。悪口を言うことが神様を軽んじていることになる!普段誰も、そんな思いで人の悪口・中傷をしていませんが、それほど重いことなのだというのが、著者の指摘なのです。イエス様が、「兄弟に腹を立てるものは、裁きを受け、ばかというものは最高法院に引き渡され…」(マタ5:22)や、「…隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタ22:37-40)と言われたことを、踏まえているのです。詩133:1には「みよ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」という言葉が記されています。それは本当に喜びなのです。

 

 そして、これは、今回のみ言葉のもう一つの重要点ですが、それはすぐに行うということです。三浦綾子さんは「『今なすことを、今なせ』という人生への態度は、何でも後に後にとなりがちな私には、大きな教訓であった」と遺しました。私にはアガペセンターでの勤務時代、相談を途中で切り上げた翌日に事故でその方が亡くなってしまったという苦い思い出があります。「明日がある」と思っていても無い明日があるのです。明日良いことをしようと思っていてもできないことがあるのです。17節で主の教えを知っていながら、それを行わないことは罪と著者は指摘します。詩編37:3には「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」とありました。不確実な明日のために、主に信頼し、今できることを求めていきましょう。