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7/7 礼拝メッセージ「互いのために」

 ヤコブの手紙が一貫して主張していた事、それは、1:22「み言葉を行う」という事であり、何よりまず「口にする言葉に気をつけなさい」ということでした。3:2、10、4:11などにも同じような言葉があり、今日の9節にも「不平を言わない」と勧められていました。生まれたてのキリスト教会ですから解釈の違いなど信徒同士の論争の種は山ほどあったでしょう。このような状況の中で、主イエス様に従うためには、7節にあるように農夫がするような「忍耐」が必要なのです。自然災害などで収穫できないようなことがあっても、それでも農家さんは次の収穫を信じてまた立ち上がるのです。信仰もただ、あきらめて過ぎ去るのを待つという忍耐ではなく、尊い実りを待つように、希望を持って人生の一日一日を過ごすということなのです。この忍耐した信仰者の例であるヨブは、サタンの試みにあい、家族や財産や健康すらも失い、神様を見失いそうになりますが、彼は神に立ち返り、以前にもまして祝福を受けました。

 

 更に12節以降では、当時、安易になされていた誓いについて記されています。自分の言葉を吟味する事が大事なのです。そして、ヤコブの手紙の著者は最後に祈りは力だと祈りの大切さを語りました。み言葉を行うということの中には、正しい事を行うという事だけでなく、互いに祈り合い、罪を告白し合うことも含まれているのです。

 

 そして、19節以下にあるように、罪びとを救いの道に連れ戻す事も、言葉であり行いなのです。そして祈りなしにできない事なのです。

 ヤコブの手紙を通して「信仰によって義とされたもの」が、キリストの言葉に具体的に従って生きることを学ぶ事ができました。この手紙はルターが言うような「わらの書」ではなく、「わたしの書」だったのではないでしょうか。