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7/21 礼拝メッセージ「詩編を味わう②神は我が救い」

 詩編62編1節「指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩」とあります。エドトンとは神殿の奏楽者たちを指揮したレビ人の一人で、歴代誌上16:38などに出てくる人物です。またダビデの詩とありました。ダビデは先代の王サウルから命を狙われ、息子アブサロムからも命を狙われました。それでも主なる神様に支えられ、生き抜くのです。ですから、4-5節で「お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり、人を倒れる壁、崩れる石垣とし、人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。…」とその孤独を吐露するのです。

 

 詩人は続けます。「私の救いと栄えは神にかかっている。…どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神は私たちの避けどころ」(8-9)。この「御前に心を注ぎ出せ」とは祈るということです。自分の全存在を神の前にさらけ出し、ありのままの姿を見てもらう。すべてを神の裁きに委ね、それに従う時に道は開けて行くのです。

 

 しかし、私たちは多くの場合神の前に沈黙して待つことができません。それは「力は神のものであり、慈しみもまた神のものである」ことを信じることが出来ないからです。主なる神様がこの世を支配しておられることを信じることのできない人々は人の力や知恵に頼ります。最後の12-13節は心に刻まなければなりません。

「一つのことを神は語り、二つのことを私は聞いた。力は神のものであり、慈しみは、私の主よ、あなたのものである、と。一人一人に、その業に従って、あなたは人間に報いをお与えになる、と」。今世界は、争いの只中に置かれています。ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、人の知恵の愚かさが、本当に終わりが見えない戦いを引き起こしています。全て正しく裁かれる主に信頼しましょう。