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10/13 礼拝メッセージ「神の望みに生きる」

 主イエスはとてもシンプルな譬(たと)えを語られました。問われたのは祭司長や長老たち、馬鹿にされたと感じたかもをしれません。ただ、今日の箇所を読み返していきますと、主が「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」と問いかけているのが分かります。「父の望み」とは当然、「神の望み」です。つまり主イエスは、「ぶどう園

へ行って働きなさい」と神の望みに生きる生き方へと招いておられるのです。

 くどいようですが、神の御心を信頼しない人がいます。でも最初は「いいえ」と答え

ても、後になって考え直し御心に生きようとする人もいる。そうしたそれぞれの代表と

して、ご自身の目の前に立つ祭司長・長老たちと、徴税人・娼婦たちを比較し31節、

「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだ

ろう」とあります。徴税人と娼婦が神の国に入る。何故そうなるのでしょう?果たして

徴税人や娼婦の方が祭司長や長老たちに比べどれだけ行いにおいて優れていたのでしょ

う、どれだけ善いことをしたのでしょう。それを解く鍵が32節です。祭司長、長老た

ちがせず、徴税人、娼婦たちがしたこととは信じること、考え直すことです。考え直し

て、信じること。それを指して主イエスは、「ぶどう園に行く/神の国に入る」と表現

された。ここで主イエスが言われた神の国とは死んだあとに行く場所ではありません。

すでに私たちは神の国に生かされています。

 

 祭司長、長老たちは、考え直して「ぶどう園」、慈しみ深い神のご支配に身を委ねよ

うとしない。他に比べて自分はマシだと考えるからでしょう。神の瞳に映っている自分

の姿を見失ってしまっているからです。「ぶどう園/神の国」とは、無条件の愛で、あ

るがまま、そのままの私であることを赦すキリストの福音の恵みが支配する領域です。

その「ぶどう園」に、「さあ、ぶどう園に行きなさい」と主は招いておられる。私たち

は、そのお方の招きに応じて、生活のすべての領域において、神のご支配を受け入れ、

日々、歩みを進めていきたいと願います。祈ります。