13年前に亡くなった私の母アリスは終生、神様に見られ、守られてきた人
だと思う。日系アメリカ人として、カリフォルニアに生まれ、19歳まで日本
を知らなかった母の口癖は、Someone upstairs is always watching you.
(2階のだれかさんがちゃんと見てるよ。) 2階の? 天の神様のことだ。
母は、日系アメリカ人らしく、自立心旺盛で、ユーモアに溢れた人だった。
なにか困った時など、『大丈夫、一人じゃないからね。』と私を元気づけてくれ、
なんでわかるの?と問えば、『I get this feeling,(フィーリングなのよ) he’s
my friend. The Bible tells me so. 』(彼は友達。聖書もそう言うでしょ。)だ
と。He’s My Friend. ( イエスさんは友達よ。)なんて深い言葉だ!神様を愛
するとは、神様の掟を守ることでもあろう。
「心をつくし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のよう
に愛する」ことを母が知ってか知らずか、(!)イエス様は常に傍にいてくれる
友達だった。イザヤ書の46章3節~4節に主の愛が見える。
「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。おなじ
ように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負っていこう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」
“わたしが担い、背負い、救い出す”これを読む毎に、私はマーガレット・
パワーズさんの詩「あしあと」を想い浮かべる。
「ある夜、わたしは夢を見た。神様と二人並んで、わたしは砂浜を歩いていた。
砂の上に二組の足跡があった。一つは神様の、もう一つはわたしのだった・・・しかし、最後に私が見た時、ところどころで足跡が一組だけになっていた。どんな時も、神様は『離れずにいるよ』とおっしゃったのに・・・『わたしの愛する子よ、わたしはけっしてお前のそばを離れたことがない。 お前がもっとも苦しみ、悩んでいた時、砂の上に一組の足跡しかなかったのは、わたしがお前を背負って歩いていたからなんだよ・・・』
素晴らしきは神様の愛であり、約束だ。神様がお示しになる「私たちへの限
りないやさしさ」に対して、私たちも主のみ栄えと慈しみを、語り伝えていこ
う。