この手紙を書いたパウロは、もともとはキリスト教会の迫害者でした。しかし、迫
害するためにダマスコに行く途上で、復活したイエス・キリストに出会い、迫害者か
ら一転して、キリスト教の伝道者へ変えられました。それ以降、3回の宣教旅行を行
い、多くの人々にキリストを宣べ伝えてきました。しかし、それは決し生易しいもの
ではありませんでした。パウロが経験した苦難の中で、最も大きく、かつ深刻であっ
たのは、彼がその身体に抱えてしまった病でした。どのような病であったかは諸説が
あり、病名ははっきりと分かってはいません。しかし、それは、パウロだけでなく、
周囲の者にもつまずきを与えるような深刻な病でした。パウロはこれさえなければ、
さらに宣教活動ができ、人々がつまずくこともなくなると考えました。ですから、神
にこの病の癒しを繰り返し、必死に祈りました。
この祈りに、ついに神から答えがありました。しかし、それは、パウロが期待した
ものとは全く異なっていました。神は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱
さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と語られました。パウロは、病の苦痛から救い
出されることを願ったのに、神はその苦しみの中で働いてくださるというのです。パ
ウロは、この神の答をすぐには受け入れらなかったのではないかと思います。かなり
の葛藤と時間的経過があったことでしょう。しかし、パウロは「だから、キリストの
力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と受
け入れます。置かれた状況を諦めて仕方なく、受けとめた、というのではなく、本当
にこれで良かったと「大いに喜んでいる」のです。そのうえで「わたしは弱さ、侮辱、
窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」と告白しています。
私たちの弱さは、キリストの恵み、キリストの力が現われる契機となることを覚え
ましょう。「なぜなら、わたしは弱いときにこそ、強いからです」。この週も、「弱い」
私たちのうちに、神の恵みは、豊かに注がれます。恐れることなく、大胆に歩み出し
ましょう。