自らの正義を主張した戦争が続いていますが、マタイは、その人間が持つ自分の
正しさ、自分の正義が破綻したマリアの婚約者ヨセフの姿から、クリスマスの物語
を語り始めるのです。
マタイは、その福音書の書き始めに「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリ
ストの系図(ゲネシス)」と書きました。「系図」と訳された「ゲネシス」は、「始
まり」という意味です。民族の始まり(系図)だけではなく、イエス・キリストこ
そゲネシス(物語の始まり)なんだと最初に言うのです。旧約聖書「創世記」も
「ゲネシス」という言葉ですから、マタイはここで正しい人、ヨセフの中にこそイ
エス・キリストによる、新しい創世記がある、物語が始まるのだ、と。
人間は自らの正義を主張して愚かな戦いを、そこかしこに、引き起こします。し
かし神は、そういう中にゲネシス、神の創造を行うのです。マタイによる福音書は、
その新しい創造の初めに、正しい人、ヨセフの悩みを、書いていくのです。人間の
正しさ、正義、それゆえの悩みの中に、新しい創造が始まって行くというのです。
今日の個所に書かれているのは、ヨセフが自分の正義を貫こうにも、いよいよ悩み
が深まっていくということでした。「決心した」と言いながら、「このように考えて
いる」つまり、行ったり来たりしているヨセフです。正義があるから、現実と向き
合って、悩みになる。自分の中に埋め込まれていた正義、自分の信じていた正義が
破綻して「ばかやろう!」と言うのです(2002・11・4 朝日新聞「声」)。それは私
たちにもあることです。しかし、そこに神が介入して来ます。「神は我々と共にお
られる」。人は、自分の正しさに破たんし、正義を貫き通せず、途方に暮れるので
す。その時、そこに、神が介入して来るのです。「神は我々と共におられる」。神の、
イエス・キリストのゲネシス、新しい物語、新しい、神の創造が始まるのです。そ
の時ヨセフは、自分の正しさなど、この際、かなぐり捨てて、マリアと共に生きる
ことを選び取っていく。新しい人間のゲネシス、新しい人間の創造でした。私たち
は、今年のクリスマス、自分の正義が打ち砕かれて、ここから新しく創造された人
間として立ち上がるよう、招かれるのです。