マタイによる福音書によれば、イエスさまの誕生の出来事を最初に知らされ
たのは、エルサレムから遠く離れた東の国の占星術の学者であったことが分か
ります。というのは、彼らが「東の出身」で、「占星術」を職業とする「異邦人」
であったとしたら、当時のユダヤの常識からすれば、《彼らは神さまの祝福の対
象外》と考えられていた人々であったからです。
ユダヤ人から見て「東方」とは、アラビアの砂漠がどこまでも続く、植物が
全く育たない不毛の地です。聖書によれば、「東風」が吹くと、草木は枯れ、泉
は干上がり、そして東風こそ、あのイナゴの大群を運んで来ると恐れられてい
ます。ですから貧しさを象徴するような方角が、聖書における「東」でした。
そして彼らの職業は神さまが御嫌いになる「占星術」でした。そして3つ目と
して、彼ら学者たちはユダヤ人ではなく、祝福の蚊帳の外に置かれていたはず
の「異邦人」だったのです。私たちの神さまは、そうした者たちを、誰よりも
先に選び出し、王の王、主の主として誕生された御子の最初の礼拝者として招
かれたのです。学者たちは、御子のみ前にひれ伏し、そのお方を礼拝しました。
そして、宝の箱を開けて、捧げ物をしたのです。一説によると、この「黄金・
乳香・没薬」とは彼らの商売道具だとも言われています。だとしたら、彼らは
全部捧げてしまった。私たちの言葉を使うならば、「献身した」ということでし
ょう。そしてその後どうしたでしょう?彼らは「別の道を通って自分たちの国
に帰って行った」とあります。言い方を変えるならば、これまでとは違った道
を歩み始めたということなのではないでしょうか?イエスさまとの出会い、言い換
えれば、実は気づいていなかったが、私自身の魂が一番欲していた「本物のプレゼント」
をいただいたのなら、もう他のものでは決して満足できない。このキリストというプレゼント
をいただくことによって、価値観を転換し、厳しい中にあっても光を見出し、「別の道」、すなわち、神さまが私たち一人ひとりのために備えてくださる新しい生き方へと導かれていくのです。