聖書を通してヨセフの人物像に迫る時、ヨセフが登場する場面はごく僅かで
す。それも、クリスマスに関連した場面以降、彼は福音書から姿を消していき
ます。多分、若くして召された人だったのでしょう。しかしヨセフは自分に託
されたイエスの父親として、マリアの夫としての大切な召しを、不平も言わず
に引き受けていった、そうした姿に感銘を受けるのです。ヨセフは立身出世を
した人物ではありません。英雄的存在でもない。ごく普通の大工さん、私たち
と同じです。でもそのごく普通のヨセフが神の御心を選択したが故に、主はヨ
セフを祝福し、ヨセフを通して大切な御業をなさったのです。
「選択」ということを考えた時に、人生は日々小さな「選択」の連続、言い
かえれば「小さな決心」の連続です。時には1つの選択によって、その後の人
生が定まっていくだけでなく、家族や周囲の人々の人生にも大きな影響を与え
ることがあります。そして、今日の聖書箇所には、ヨセフにとっての大きな決
心、イエスの父としての自分、マリアの夫としての自分を受け取る、あるいは
受け取り直すという決心が記されています。
でも、ここにもう1つの選択、もう1つの決心があったことを忘れてはなら
ない。それは「神さまの選択/神さまの決心」です。その神の決心、神の決意
についてカール・バルトという神学者は、「神はイエス・キリストにおいて、永
遠に罪人とともにあることを決意された」と語りました。ヨセフの決心も実は、
この神さまの選択、神の決意を知り、その愛に圧倒されて、マリアと共に生き
ることを選んだゆえの決心だったのです。23 節を見ますと、男の子の名はイン
マヌエルと呼ばれる、この名は「神は我々と共におられる」という意味だと書
かれています。クリスマスとは、神が私たちと共に生き、私たちを生かして用
いようとされる神の愛の選択、「インマヌエルの決心」の出来事だったのです。
神の側で手を差し伸べてくださっている。私たちもその手を取って、神の同労
者として招いてくださっている。私たちはその招きに応答するのです。