この聖句は、福音の本質を理解していないユダヤ人クリスチャンに対してのパウロ
の憤りを感じる箇所です。パウロは 4-8 節にあるように、もともと血統や律法に忠実
に生きていました。しかし、キリストを知った後、それらが何の価値もないと気づき
ました。「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見な
すようになった」(3:7)のです。私たちも、功績や地位や肩書、財産に誇りを持つこ
とがあるかもしれません。それを得るまでの苦労の歴史があり、努力の結晶だからで
す。パウロこそそのようなものに固執してきた「ガチ中のガチ」でした。この「ガチ
中のガチ」とは若い人たちの間で「本物の中の本物」というような意味で使われます。
しかし彼はダマスコに行く途上で復活した主と出会ってから、すべてが変えられた
のです。それまでの自分の正しさばかりを追い求める生き方から、彼は変えられた。
律法は罪の自覚しか生まないとパウロは語りました(ロマ 3:20)。人は、どんなに善
行を積んでも完全に神の基準を満たすことはできないと正しさの限界を自分にも社会
にも感じたのです。「自分の義」ではなく、「神からの義」こそが、私たちを救い、永
遠の命へと導くと気づいたのです。その神の義こそ神の子イエス・キリストの十字架
による罪の贖いであることを彼は理解したのです。そしてその罪の赦しによって神の
国の門が開かれ、永遠の命を得ることが出来る、永遠の平安が得られると主イエス様
の言葉を信じたのです。だからこそ、彼はこの世での苦しみも受け入れることが出来
たのです。苦難の道こそ栄光の道と彼はイザヤ書 53 章にある苦難の僕のように、大逆
転した価値観の中でキリストと共に生きる道を見出したのでした。
私たちの信仰生活にも試練や困難がありますが、それらを通してキリストの力を体
験し、より深く主を知ることができるのです。今回の入院で私は改めてそう思いまし
た。自分の力ではどうにもならない。だからこそ、主に助けを求める祈りが生まれる
のです。そして万事が益となる経験をしてしまうのです。
皆さんは本当に価値のあるものを選び取りました。ガチ中のガチのパウロが「キリ
ストを知ることこそ、最も価値のあること」だと語ったのです。世の価値観ではなく、
キリストを最も大切にし、信仰によって生きる者となりましょう。