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3/16 礼拝メッセージ「あなたは何度許せますか?」

 主イエス様は罪を犯した人に対する対処法を弟子たちに教え、それを聞いたペトロが、自分に対して犯す罪を何回許せばいいのかと問いました。仏教では「仏の顔も三度まで」と3度まで我慢することを教えていますが、7の70倍(数えきれないほど無限に許すという意。7は完全数)許せと教えます。この言葉を読むたびに、自分はイエス様に従えないと思ってしまう方も多いのではないでしょうか。

 

 人間は神様に似せて作られ、歴史から学ぶことができ、神の声を聴き分け、互いが神様によって作られた大切な存在であることを知っています。しかし、時に自己中心の罪によって、自分の心の声が大きくなり、利己的な振る舞いによって、周りの人々の安心・安全が脅かされて不安や不満が生まれ、それが争いとなるのです。互いに平和に生きるために神様に従うということは、何より重要なことなのです。

 

 教会も社会の縮図ですから、色々な背景をもった人が集います。考え方も十人十色、普通では出会わないような人たちと私たちは共に生きています。ですから、時に意見の衝突や、反感・敵意を抱くことすらあるのです。人間は弱いですから、ちょっとしたことで疑いの感情を持ったり、心が傷ついてしまう。

 

 しかし、主なる神様は相手を思いやる心を与えてくださり、また互いをとりなす心を与えてくださいました。また対話する知恵を与えてくださいました。そして、御子をお送りくださり、争いの解決方法を教えてくださいました。「怒り」という感情を捨て切れない私たちに、イエス様はたとえを話され、私たちにすでに神様によって多くを赦されていることを諭されました。

 

 私たちは決して心が清いわけでもなく我慢強いわけでもありません。だから私たちは毎週礼拝し、主なる神様に罪の告白をし、主の祈りの中で許すのです。そして赦してもらうのです。年間53日の日曜日があります。7の70倍は、無限を意味した言葉ですが、毎週礼拝で許し赦されるのです。リセットするのです。そうやって許すのです。

 

 あなたは許せない人になっていませんか。時代は厳しさを増し、罪の水位も確実に上がってきているのです。この時にこそ、クリスチャンとしての真価が問われるのです。