この箇所は、99 匹の羊と1匹の迷う羊のたとえといわれる、聖書でも有名な
たとえの一つです。羊は、ユダヤ人にとって大切な財産であるのと同時に弱い
存在であり、世話の必要がある姿が人と神との関係を表す存在でした。詩編 7
9:13「私たちはあなたの民、あなたに養われる羊の群れ」逆に疲れ果て、打ち
ひしがれている人々を「飼い主のいない羊」と形容しているマタイ9:36のよう
な言葉も聖書の至る所で見ることができます。そんな羊100匹のうち1匹がはぐ
れてしまった、あなたならどうするかというイエス様の問いかけです。私たち
現代人はすぐ数の多さとか優劣で考えがちです。99 匹のほうが1匹より価値が
ある。もしその1匹を追っていくうちに他の 99 匹が獣に襲われたらどうするの
か、そんなことを考えてしまうのです。しかし、もし大切な自分の子どもたち
だとしたら、あなたは残り 99 人子どもがいるから、一人がいなくなっても仕方
がないと、探しもせずにあきらめられるでしょうか。親であるなら、その一人
をなんとしてでも探すのではないでしょうか。そして、見つかったら大喜びを
するのではないでしょうか。「99 匹か1匹か」の問題ではなく、「99 匹も1匹も」
大切であり、その時点では、「失いかけている1匹が大切」ということなのです。
私も学生時代、「人生の迷子」になったようなつらくてさびしい思いを何度も
経験しました。皆さんの中には、現在進行形でこれからどうなってしまうのだ
ろうと、人生の不安の只中に置かれている方がいらっしゃるかもしれません。
病気や、老い、仕事、学校、人間関係…。逆に自分は弱い存在になりたくない、
勝ち組の人生を歩みたいと色々なことに一生懸命取り組んで、自信をもって歩
んできたのに、よりどころとしていたものが急になくなって、人生のどん底を
経験するということもあります。しかし人生の中で迷い、希望や神様を見失っ
た人間を、創り主であり私たちを愛してくださっている神様は何とかしてでも、
探しだし、救いたいと「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を
捨てる」(ヨハネ 10:11)と言われた主イエス様を遣わされたのです。私たちも
また、私たち自身がそうであったように、小さきものの救いを最後の最後まで
あきらめてはならないのです。